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  • 2012.06.21 Thursday
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友人からもらった言葉

これはあなたの人生です。
自分が好きなことをやりなさい。
そして、どんどんやりなさい。
何か気に入らないことがあれば、それを変えなさい。
今の仕事が気に入らなければ、やめなさい。
時間が足りないのなら、テレビを見るのをやめなさい。
人生をかけて愛する人を探しているのなら、それもやめなさい。
その人は、あなたが好きなことを始めた時に現れます。
考えすぎるのをやめなさい。人生はシンプルです。
すべての感情は美しい。食事を、ひと口ひと口味わいなさい。
新しいことや人々との出会いに、心を、腕を、そしてハートを開きなさい。
私たちは、それぞれの違いで結びついているのです。
自分の周りの人々に、何に情熱を傾けているか聞きなさい。
そして、その人たちにあなた自身の夢も語りなさい。
たくさん旅をしなさい。
道に迷うことで、新しい自分を発見するでしょう。
ときにチャンスは一度しか訪れません。しっかりつかみなさい。
人生とは、あなたが出会う人々であり、その人たちとあなたが作るもの。
だから、待っていないで作りはじめなさい。
人生は短い。
情熱を身にまとい、自分の夢を生きよう。


忘れられない人々 其の壱

マラウイで出会った、忘れがたき人々について。

今回は、チャリマトドライバー、Jamesをご紹介します。



※チャリマトとは、村落部のマラウイ隊員御用達の交通手段・自転車タクシーのこと。

 隊員の造語なので、マラウイアンには通じない。

 ちなみにマラウイアンは
「ジンガ」「ハイヤラ」
「カバザ」または
「ゾバンドゥカ(これを言うとウケる。風より速いという意味だとか)」と呼ぶ。


赴任して4ヶ月、そろそろ地域の他の学校の巡回を始めようかということになりました。

ミニバス(TOYOTAのハイエースをバスとして使っている公共交通機関)で行けるところは一校しかなく、あとはチャリマトか徒歩で行くしかありません。

(道が未舗装な上、幹線道路からずっと遠いところなので)

ある意味異国からのお客様扱いである私が変な目に遭わないよう、校長先生は信頼できるチャリマトドライバーを紹介してくれました。
それがJamesとの出会いでした。

20代、4児の父・Jamesは英語が話せず、来たばかりでまだ現地語もよく分かっていなかった私は
「この先ちゃんとこの人とコミュニケーションをとって、行きたい場所に行けるのだろうか…」
とかなり不安でした。


「○○へ行きたい」とか
電話してアポを取る
(校長先生は心配して学校まで迎えに来てもらうように言ったため)
のは、割とすぐ出来るようになりました。


しかし、長い道中(時には一時間超)話をすることは最後まで慣れぬまま…。


そんなJamesを「この人はなんていい人なんだ!」
と思わせる出来事がありました。


ある日、お客様が来ることになり、食べたいものを尋ねたところ「カンガ(ホロホロ鳥)」と言われました。


うちの警備員さんに聞くと、マコテ村のAさんとBさんが商っているらしいとのこと。
マコテ村はうちから自転車で1時間ぐらいだという。


私はそれだけの情報を頼りに、カンガ探しの旅に出ることに。

Jamesに頼んで800クワチャ(日本円400円程度)で往復してもらうよう交渉。
(ちなみにその相場だと往復20kmくらい)


Jamesは行ったことがない村だったようですが、道行く人に聞きまくって、なんとかたどり着くことが出来ました。

道中、ぬかるみ(雨季だったので)で進めず引き返したり、チャリのまま小川を渡るところがあったり、藪の中の道なき道を通ったり、かなり冒険の匂いがする旅となりました(笑)



ようやく目的の家にたどり着いたのは良かったのですが、

どちらの家もシーズンオフで今は一羽もいないとのこと…


その交渉を全てJamesがしてくれました。

彼がいなければ絶対たどり着けなかったし、交渉も難しかったに違いありません。

さんざん連れ回した上に、収穫なし、しかも帰りついたのは日も暮れかけた頃。

800クワチャを申し訳なく思いながらも、Jamesは文句ひとつ言わず受け取ってくれました。





そして後日。


客人が帰ろうとしたまさにその時、



Jamesがカンガを持って現れたのです!



私「ごめんねJames、もう帰るところなんだけど…遠いから持って帰る訳にもいかないし…」


James「分かった。市場で売るから大丈夫」


そういって颯爽と去って行きました。


何て男前なんだ、James(´∀`)



それ以来、Jamesに一気に親しみを感じるようになったのでした。

幸せの価値観

2年間、日本を離れてマラウイに暮らしてみて思ったこと


人は、生きることに直接関わる仕事から離れれば離れるほど、心が荒むんじゃないか?


生きることに直接関わる仕事というのは、

畑を耕して作物を育てたり

井戸で水を組んだり

山で薪を採ってきたり

火を起こして煮炊きしたり
ということ。



これらの仕事っていうのは、一見すると手間がかかって面倒で、できる限り楽をしたいと思うのが普通かもしれない。

その「何とか楽をしたい」という気持ちが今の日本の繁栄を築いたことは否めないし、私もその恩恵に与っている。


でも、楽になったから皆が幸せになったかと言えば、どうもそうではない気がする。


隊員や同僚がよく
「この国には娯楽がない」
と嘆いていた。


娯楽って、生きることに直接関わる仕事をしなくてよくなった代わりに、
その空いた時間を埋めるため必要になるものなのではないかな。


音楽 テレビ 映画 スポーツ ショッピング 読書 インターネット グルメ


今の日本ではありふれていて、当然のようなもの。

その中のいくつかは、「趣味」という枠を形作り、人を近づけるツールになったりもする。


あれば楽しいことも多いだろう。

心を豊かにするものも多いだろう。

人と共有することで生まれる、新しい発見もあるだろう。


でも大概のものはお金がかかるもの。
人々は食い扶持を稼ぐだけでは満たされない。
何故なら、娯楽が手に入らないから。
少しでも多く稼ぎたい、何故なら、娯楽を楽しむ懐の余裕が欲しいから。
(これは極論で、人が働く理由は他にも色々あるとは思いますが…)

そして少しでも多くの稼ぎを求めて、長い時間働く。

我が子の顔が見られないくらいに。

関係が壊れるまで、パートナーと話す時間も取れないくらいに。

心を病んでしまうくらいに。



とても時間がかかるはずの、生きることに直接関わる仕事から解放された私たちは、代わりに一体何を得たというのだろう。



残留農薬が心配だという。

食品添加物が心配だという。

浄水器がないとカルキ臭いという。

原子力発電所から出る放射能が心配だという。


生きることに直接関わる仕事をしなくなるって、楽になる分、そういう問題と向き合わなければならなくなるってことではないのかな。


避けては通れない。
だって自分じゃない人がやるのだから。



というわけで、娯楽が少ないマラウイの人たちの方が、生活満足度が高い気がしたまーこちんでした。

危機感

帰りの香港国際空港での出来事。


同期四人でスターバックスに行きました。
誰か中国人に間違われるかなぁ、なんて言いながら、荷物番も兼ねて一人ずつ並びました。


注文した後、レジで名前を聞かれたのです。
その時は理由が分からなかったのですが…


私の後に並んだMちゃんが


「受け渡しコーナーで、日本語で話しかけられたよ!!」


え、私はずっと英語だったんだけど??
なんで日本人ってわかったんだろう??


考えたところ、どうもレジで名前を聞いたときに国を判別しているのではないかと。


そして、よく見たら紙コップに名前が書かれていました。

Mちゃんは下の名前。
私は“Michael" (笑)
道理で英語だったわけだ。


マラウイでもしょっちゅうそう書かれましたが、
「マイコ」の発音は、どうも英語圏の人にはこう聞こえてしまうようです。

しかしここでは私の名前なんてどうでもいいんです。
私が驚いたのは、
店員さんが名前を聞いて瞬時に国籍を判断し、そして受け渡しの店員さんが、その国の言葉で話してくれるという、サービスのクオリティの高さです。
「こちらエスプレッソです」程度だったら、何カ国語でもそう難しくはないのかもしれませんが、
それにしても、すごい!!


新宿に着いた後、中国人の観光客の多さにかなりビビりましたが、
明らかに中国語でしゃべっているのに、店員さんが型どおりの日本語でしか話しかけないのを見て、
私は何故だかとても危機感を感じました。


これだけ中国の人がたくさん来るようになっているんだから、挨拶とか数字とか、片言でも話せるようになっておくべきなのでは??




もう一つ、危機感を感じたこと。
このスタバ事件の前、南アフリカー香港のフライトで。


座席の配置が、2−4−2列で、
私は4列のレーンの、一番右側。
左は中国人、通路を挟んで右が同期のO君、そして彼の隣りの窓側は空席でした。

隣の中国人はほとんど英語が喋れず、しかしそれでもしっかり自己主張をする人でした。
機内食のおかずを「肉と魚、両方くれ」と言ったり、(でもfishもbeefも分からないみたいだった…)
室温が暑いといって、携帯に漢字→英語の辞書を表示して、私にフライトアテンダントと交渉させようとしたり、
挙句の果てには、「狭くて眠れないから席を替わってくれ」とO君に要求する始末。

O君が断ると
"Why? Why not?"

え、そこだけ英語?!


なんだかもめてややこしいことになるのが嫌だった私は、
「私がO君の横の空席に移るからそれでいいか?」と言って、
妥協してもらいました。弱い私。


英語のできない彼でも「Thank you」と、御礼だけは言ってくれました。


前々から感じていたのですが、
アフリカには中国人がたくさんいます。
中国人が構えるお店も、マラウイにたくさんありました。
けれど私が話しかけた何人かの中国人の店員さんは、英語が分からないようでした。
一体どうやってお店を開いたのかは謎ですが、
英語ができなくても、彼らはとてもたくましく生きています。
言葉なんて関係なく、自分たちの要求を貫いています。

なんというか、モチベーションというか、バイタリティというか、ポテンシャルというか…日本人とは違いすぎる。
そりゃあいろんな場面で、日本は負けるでしょうよ。勝てそうにもない。
日本人は、英語話せないとか、内向き志向なんて言っている場合ではないのでは?
と、こちらでも危機感を覚えました。


終わりの始まり

今でもまだ、信じられないのですが、
2年間の任期が無事、終了しました。
現在、南アフリカのホテルにいます。
無線LANがサクサクつながる、恐ろしい世界です。
マラウイドミの有線なんて、ダイヤルアップみたいですね。

帰国後、書きたくても書けなかったこと、色々書いていこうと思います。

悪夢?

JICAから、マラリアの予防薬を頂いています。
メフロキンという薬で、週一回服用します。
1錠4ドル近くするお薬です。
お陰様で今のところ、マラリアにはかからずに済んでいます。


服用前、健康管理員から副作用の説明を受け、
その中に「悪夢を見る可能性がある」というのがありました。


そのせいなのかどうなのか?
こちらへ来て見る夢は、何故か大概日本が舞台で、
(しかも来て1週間後からずっと、内容は「まだ何もしてないのにもう日本に帰ってきてしまった」というパターン)
毎日一緒に過ごすマラウイアンが登場することはあまりなく、
たまにしか会わないボランティア仲間の方がよく出てきたり。


しかし先日、久しぶりにマラウイアンが出てくる夢を見ました。
舞台は配属先の職員室。
意思疎通は何故か日本語で行われていたような気がしますが、夢だしね。


それは、私の最も信頼する同僚から、任期終了後の仕事を紹介されるというものでした。

今の私にとっては、かなり切実な話です。
こんな夢で動揺しないように、早く何とかしたいものです。


パーティーパーティー

今学期、我が校では“House competition”と称して、縦割り4グループの対抗戦が行われました。

種目は

・フットボール(男子)とネットボール(女子)
・陸上競技(100m走、400m走、走り高跳び、走り幅跳び)
・クイズ

 これらを、ほぼ毎週金曜日の午後、順番に行いました。
私は何故だかHousemistress顧問のようなもの)にされてしまい、
そのくせミーティングを招集するたびに集まりが悪い生徒たちにすっかり愛想を尽かしてしまい、
あまりやる気のある顧問とは言い難く…
 
で、結果、最下位。
やる気のあった子たち、本当に申し訳ない。


4月2日は、見事トップの座を射止めたHouseのメンバーのために、お祝いのパーティーが開かれました。

朝から家庭科室でごちそうの準備をする生徒たち。
否応なく呼び出される火元責任者、まーこちん。土曜日なのに(; ̄Д ̄)

 男子が鶏を捌き、女子が料理担当。
メニューは、ご飯、鶏の素揚げ+トマトソース、ジャガイモを鶏の出汁で炊いて揚げたやつ、
マラウイアンサラダ(千切りキャベツに熱々のトマトソースをまぶしたもの)ジャガイモは珍しく手が込んでいるんですが、
それ以外は大体パーティーと言えば、この料理を作っている気がします。


どーん。
盛りつけの美学は、マラウイアンにはないと思われる。
いいんです、美味しくいただければ。


教師は全員招かれて、ゲスト扱いです。
生徒が水差しを持って来て、手を洗わせてくれます。


配膳係、ジャガイモを盛り付けるの図。

 
乾杯。

 
こぼしまくっているんだが、あんまり気にならないみたい。

 ちなみに会場の飾りつけは、トイレットペーパーと風船です。



 「今日は手短に…」と言いつつ、3枚もスピーチ原稿を用意している校長。


あとは大音量の音楽で、ダンス・ダンス・ダンス!!










 
「食べ物くれ!!」とねだる外野。
食べかけでも全然気にせず食べてしまうところが、複雑な気分です…。

 本当はこの後、全生徒に開放するディスコをする予定が、
時間がおしていたのと停電とでなくなり。
 
うちのHouseの子に
「マダム一人だけ楽しんでずるい!!」と言われてしまい
「来学期頑張ろう!!>」とお茶を濁すまーこちんであった。


世間は狭かった!!

協力隊に応募して以来初めて、『世間は狭かった』体験をしました。
今までで一番近かったのは、訓練所で同じ班だったシニアボランティアの方が、
中学校の社会の先生と同期?(ごめんなさいTさん、もううろおぼえです…)だったということや、
マラウイ同期隊員のO君は弟の友達の同級生だったことくらいでしたが。

今回は何と、小中学校の同級生。
しかし9年間同じ学校に通っていたにもかかわらず、名前しか知らない…
赴任前に名簿を見た時点で「まさかなぁ…同姓同名の他人かなぁ…」と思いつつ
会ってみると、本当に同級生でした。

私は名前以外、記憶があやふやなのに対して、
向こうは私の兄弟構成まで覚えていてくれて、びっくり。
ほとんどしゃべったこともないのに。

若さとエネルギーと自由な精神の塊みたいな彼に、(←一応同い年なんですが…)
何だかんだで言い訳付けて、へこんで逃げ腰ぎみになっていた私は
とても元気づけられました。

今、この時に会うことが出来て、本当に良かったです。
この場を借りてありがとう。

誰かに見られるために活動をするわけではないけれど、
喝を入れられた気分です。

よっしゃ、気合い入れよ。


音信不通

派遣前訓練中、また赴任前オリエンテーションで、このような注意を受けました。

「任国では、通信事情が良くないことが多い。
頻繁に実家と連絡をとっていて、ある日通信トラブルで突然つながらなくなり、
心配したご家族がJICAに連絡をとってくるケースがある。
このようなことが起こらないようにしてもらいたい。」


これを聞いた時、まさかうちではこんなこと起こらないだろう、と思っていました。


マラウイでは国際電話もできるし、
インターネットも自宅ではちょっと厳しいけれど、
ネットカフェやJICAドミトリーでなら出来ます。
ただ、私は出不精なので、そんなにちょくちょくドミには行かないし、
ネットカフェがある一番近い都市・ゾンバにも、片道2時間以上かかることを思うと他に用がなければ行きません。


都会に上がった時にメールを送り、何か特別な日には電話をかけるようにしてきましたが
ここ一ヶ月ほど、何だか余裕がなくて、連絡しそびれていました。




ある日、めったに電話のかかってこない担当調整員からの電話

「JICA大阪から連絡が来て、親御さんが心配されているとのことなので、連絡してあげてください」



や っ て し ま っ た ・ ・ ・


うちは通信事情が悪いから、、1ヶ月くらい音信不通でも心配しないで、と言っていたのですが、
最近の北アフリカの治安悪化で、心配をかけてしまったようです。



国際電話は高いから、実家にかけてもらうと迷惑がかかると思って、
電話番号もあえて強調して伝えることはしませんでした。
それが裏目に出てしまった。嗚呼。
本当に申し訳ない。


そんなこんなで、無事に生きています。

マラウイ再発見

 任国外旅行で、隣国ザンビアに行ってきました。


最初はマラウイの首都・リロングウェから車でサウスルアンガ国立公園に行くツアーです。

初めての陸路国境越え。
わいろ欲しさ(?)に警官に絡まれたりしましたが、何とか出国。

道中、「結婚式をやっているからお金をちょうだい」と呼び止められ

中央の敷物に座っているのが新郎新婦らしいのですが、
とても神妙にしていて、「本当に結婚式??」という感じでした。

サウスルアンガ国立公園は、マラウイのリウォンデ国立公園なんて目じゃないくらい、いろんな動物がいました。


獅子神様とか


やる気なさそうなハイエナとか


疲れ果てたライオンとか

泊まったロッジは国立公園の外だったのですが、象や猿が周りにたくさんいて


バーに侵入してきてグラスを破壊していく象がいたり。

他にも、キリンやシマウマ、カバ、ワニ、インパラ、ホロホロ鳥など、動物園でしか見られない動物たちがのびのび動き回っていました。

動物園で、自由に動けないけど餌は保証されているのと、
国立公園で、好きに動けるけれど自分で餌を確保しないといけないのと、
どっちが動物にとっていいのかなぁ、なんて考えてみたり。

国立公園の動物たちを見ていると、人間って不思議な生き物だなぁと思います。
動物は、食事と排泄が同時だったり、同じ場所だったりする。
命をつなげるために動き、それ以外のことはしないわけだけれど、
人間は、余暇にそんな動物を眺めに来たりする。



そのツアーの後、ザンビアの首都ルサカに行きました。
会うはずだった同期が一日遅れてしまって、ドミトリーには知らない人ばかり・・・
けれどもさすが協力隊、皆さんとても親切にしてくださいました。

日曜日には赴任前日の新隊員が親切に案内してくれたおかげで、マラウイの首都より10倍都会のルサカで迷わずに済みました。本当にありがとう。

その後マラウイとの国境沿いの町、チパタに行って、同期隊員の家に泊めてもらいました。
チパタは、リロングウェと変わらん位栄えていました。
何だろう、この差は。

チパタ隊員の活動をちょっと見せてもらい、
親切なマラウイアンと相乗りタクシーで一緒になり、
(相乗りタクシー:国境まで皆で乗っていくタクシー。助手席に二人、後部席に4人詰め込まれる)
無事、マラウイに帰国。


国境をちょっと越えただけで、お隣さんは色々と違っていて、
村落部はマラウイよりも断然人口密度が低くて、
都心部はマラウイよりも断然栄えていて、
ザンビア隊員は、マトーラ(乗り合いトラック:トラックの荷台に人や荷物を載せる)やチャリマト(自転車タクシー)で行くような僻地隊員は誰もいなくて、
長距離バスは通路に人を乗せないし、軽食が出てくるし、
ザンビアクワチャ(ザンビア通貨)はマラウイクワチャよりも桁が多くてちょっと混乱したり。
ザンビアのお金は紙幣しかなくて、よく使われる1000クワチャとかはプラスチックでできていたり。


色々な面で、ザンビアは進んでいる気がしたのだけれども、
マラウイに帰ってきて、ちょっとほっとしたのでした。




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