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  • 2012.06.21 Thursday
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あずんぐ・何様・どちら様?

自分の存在に矛盾を感じるときがある。
それは、「協力隊員はお金がないと要請できない」ということである。


ボランティアという名はついてはいるが、協力隊は他のNGOなどに比べれば遥かに待遇の良い身分である。
家も生活費も保証され、2年後にはまとまった積立金までついてくる。
警備員を雇い、市場の商人に「BIG CUSTOMER」と呼ばれる。
JICAボランティアならお金を持っていると、接したことのある現地の人は皆信じている。

そのお金は、日本国民の血税から来ているものなのだけれど。


基本的に家は相手国政府に用意してもらうことになっている。
つまり、家賃は相手国が払ってくれる。
引っ越しのトランスポートも配属先持ちである。
そうなると、本当に何もない、というところには、協力隊は入れないということになる。

「ボランティア」という呼称が本当にふさわしいのか、私はちょっと疑わしく思っている。
もちろん、誰かに強制されてではなく、自らの意思でやって来ているのだから、その点はボランティアに違いないのだが。


私が一番ショックだったのは、自分の家が元々は同僚の家だったこと。
うちの学校には、敷地内に教員住宅があり、大きい家が6軒と、それにクォーター(本来は使用人用らしいが、今のところ全て独身者が住んでいる)が一つずつついている。
私はクォーターの内の一つをあてがわれた。
しかしうちの学校には全部で20名以上の教師が勤めていて、教員住宅に入れなかった人は、歩いて20分くらいの街の中心部に家を借りることになる。(違うところに住んでいる人もいる)
ある生徒から、私が来る前には同僚のMr.ヤッシンがそこに住んでいたんだよ、と聞かされて、
それじゃあ結果的に私は彼を追い出してしまったんだろうかと思うと、何だかやりきれなくなった。


現場の先生をないがしろにしているとまでは言わないけれど、私はそこまでしてもらう価値のある人間なのだろうか。
安全面やその他色々な面から判断して、この家に住むことが妥当となったのだろうけれど、
大事にされればされるほど、ありがたいんだけど申し訳なく思ってしまう。

いや、この申し訳なさを原動力にして奮起しろということかもしれない。



援助という名の支配

ここへ来て痛切に感じたのは、言葉の壁。
日常のコミュニケーションは、うまく話せなくても、生きていくだけなら何とかなる。


けれど生徒に教えるとなると、話は別。
彼らの日常言語はチェワ語、そしてセカンダリースクールの授業は英語で行われる。
分かりやすく話すことが第一なのだけれど、英語が分からない生徒にとっては、どれだけ易しい語彙を使われても通じない。
たった一言、私がチェワ語を知らないがために、彼らが理解する機会を奪ってしまっている気がする。

どうしてチェワ語で授業をしないのだろう。
もうイギリスの植民地でも何でもないのに、なぜ英語で授業し続けなければならないのだろう。
「英語を使いこなせるようになること」と、「概念を理解すること」では、どちらに重きが置かれているのだろう。

そんな話をフィールド調整員にしてみたところ、
「英語で授業していた方が、援助を受けやすいという実態がある」という話だった。

確かに、英語で授業をしているからこそ、私のような外国人ボランティアが現場に入れるわけである。
色々な場面で、英語を使えた方が確実にビジネスチャンスも、視野も広がる。

でもそれって、どっちを向いた考えなのだろう。
英語が出来ないばかりに、他の教科を理解する機会を奪うことにはならないんだろうか。

英語が出来ない生徒は、他の学問をする権利もないということか。

その話を同僚にもしてみた。
私がチェワ語を話せないばかりに、生徒の理解を促せないんじゃないかと。
彼の答は、「もっと英語を勉強するように生徒を励ませばいい」というものだった。
概念の理解よりも英語ありきなんだな、と知った。


私は日本で生まれて、日本で育った。
小学校から大学まで、教育はすべて日本語で受けてきた。
それが自分にとっては当たり前で、母語じゃない言語で教育を受けるなんて、考えるだけで大変そうである。
昔のお偉いさんが、日本の公用語を英語やフランス語にしないでくれて、本当に本当に良かったと心底思っている。

それがこの国ではそうも言っていられない。
同僚のひとこと
「見てごらん。英語が話せない官僚なんてこの国にはいない。
どんなに賢い頭脳を持っていたところで、英語が出来ないことには、この国では人の上に立つこともままならない。」

イギリスの支配が終わった今でも、英語はこの国を支配し続けるのだろうか。
それとも長い目で見れば、その方がこの国のためなのだろうか。

話し言葉・書き言葉

英語やチェワ語は話し言葉。
日本語は書き言葉。


ここへ来て、日本語のすごさを実感します。
「日本語を教えてほしい」と生徒に言われたりするんですが、
「まずアルファベットから」と言われて、はたと止まってしまう。

今まで25年間生きてきて、当たり前のように使ってきたけれど、
ひらがな、カタカナ、そして膨大かつ複数の読み方を持つ漢字。
どこから教えればよいものやら。

「日本語にはね、3000以上のアルファベットがあるんだよ」というだけで、みんな仰天する。
そりゃあ、26字しかない英語のアルファベット(チェワ語もアルファベット表記。文字をもたない言語なので)からすれば、たまげちゃうよね。
そして私も、こんな複雑な言語を駆使する自分に、改めて驚いてしまう。

とりあえず、教えを乞うてきた生徒にはカタカナの50音表を書いてあげています。
表の周りにローマ字の子音と母音を書いて、「これを組み合わせて発音するんだよ」と言いながら。


日々生活していて、つくづくチェワ語は話し言葉なんだな、と思います。
文字を書く習慣があまりないから、書くたんびに名前の綴りが違ったりするし。
でも会話能力はとても高くて、学校の先生は英語・チェワ語・そして現地語とトリリンガル以上なのが普通。
(チェワ語と現地語は基本文法が同じだから、当たり前かもしれないけど)
うちの警備員なんて、現地語6種類ぐらい駆使できちゃう。

とにかく皆、しゃべる、しゃべる。
老若男女問わず、隙あらばしゃべる。
仕事中でもしゃべる。
バスの隣の全然関係ない人とでもしゃべる。
「そんなどうでもいいことまで?!」ということもしゃべる。
同期隊員と「マラウイアンからおしゃべりを取り上げたら死んじゃうよね」という話になるくらいしゃべる。


最低限、買い物で使うような言葉なんかは分かってきたけど、
早口マラウイアンのチェワ語はいまだに宇宙語に聞こえます…。


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