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  • 2012.06.21 Thursday
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マラウイ通信事情

 

ここマラウイでも、携帯電話の普及は著しく、「お金がない」と騒ぐ人でも携帯は持っているという不思議な現象が起こっています。家に電気がない人でも、市場の充電屋さんで充電できます。
マラウイの携帯電話会社は「TNM(Telecom Network of Malawi)」と「Zain(ゼインと読む)」の2社。
地域によってカバー率が異なり、私の任地では最近Zainは絶不調です。
JICAからは、緊急連絡用に両社の携帯電話が支給されています。

携帯電話を使うには、
(1)電話機本体を買う。
(2)TNMまたはZainのSIMカードを買い、電話機にセットする。
(3)プリペイドユニットを買い、チャージする。(ユニット:15桁の番号が書かれているカードで、購入後スクラッチして電話に入力する:写真左は5ドル分で、750クワチャ)
(4)通話、またはショートメッセージを送る。
といった手順を踏みます。


ユニットは100ユニットで1USドルということになっていますが、TNMは150クワチャ・Zainは160クワチャです。同じ携帯会社同士なら、通話1分50ユニット位でしょうか。25・50・100・500・1000ユニットの5種類が買えますが、田舎では500以上のユニットはお目にかかれません。
お金に困っている人は、ユニットを節約するためにフラッシュ(いわゆるワン切り)を多用したり、携帯会社のサービスの一つである「電話して下さい」メール(無料で送ることができる)を使っています。
ちなみに国際電話もできます。日本にかけると1分200ユニット位です。
公衆電話と同じで、ユニットがなくなれば電話は切れます。
ショートメッセージは、異なる携帯会社の電話にも送ることができます。外国に送ることもできるので、他の国に派遣された隊員ともこれで連絡を取ることができます。

電話機自体は、白黒の液晶のものから、ムービーを撮ったり音楽をダウンロードしたりできる最新機種まで幅広く出回っています。携帯電話を見れば、持ち主の経済状況が一目瞭然です。

最近、携帯電話会社が提供するUSBフラッシュメモリタイプのモバイルインターネットサービスが登場し、隊員の多くはこれを使ってインターネットをしています。(写真右)
使い方は電話と同じで、ユニットをチャージし、やりとりしたデータ容量分だけユニットが消費されます。Email1通1ユニットもかからないので、調子が良ければ電話よりもはるかに経済的なのですが、調子が悪いとデータ送受信中に何度も切断したりして、何もダウンロード出来ていないのにユニットだけ減っていく、という悲しい事態になります。TMNはここ2ヶ月ほどそんな状態が続いています。

携帯電話の話ばかり書きましたが、他の通信手段もあります。
携帯電話以外にも普通の回線電話もありますが、最近は携帯電話に押され気味です。
また、大きな町に行けばインターネットカフェがあり、1分5クワチャ位でネットができます。
うちからバスで2時間ちょいの旧都・ゾンバでは、Windows Vistaを搭載したパソコンで日本語入力が可能なお店があります。


それからアナログな通信・郵便ももちろん健在です。日本へは葉書一枚110クワチャで、3週間〜1ヶ月で届くようです。


まだ携帯電話が普及していなかった頃、隊員間の連絡は無線を使っていたらしいです。
今は携帯電話が貸与されるようになったので、無線の貸与はなくなりました。

しかし4月の半ば頃、うちの任地では全く携帯電話がつながらない状態が1週間ほどあり、
うちの任地はまだ無線があったほうがいいんじゃないか?と思ってみたり。


目には見えない力

 時々、私には相当強力な守護神が付いているんじゃなかろうか、と思うことがある。
協力隊派遣が、アフリカの中でも平和で過ごしやすい気候のマラウイに決まったことも、
訓練所で同じ班のメンバーに恵まれたことも、
マラウイ同期隊員に恵まれたことも、
任地が都会過ぎず、僻地過ぎず、人の良い地域だったことも、
配属先が空中庭園みたいな、設備の整ったMbenjere Secondary Schoolになったことも、
同僚が気の良いおじ様2人であることも、
ご近所さんに恵まれたことも、


自分では選べないことばかりなのに、すごくすごく良い巡り合わせで、
こんなに良くしてもらって、私は彼らに何を返せるんだろう?


今週ほど、守られていることを強く感じたことはない。

今週一週間、ゾンバのMulunguzi Secondary Schoolというところに泊まり込みで理数科教員再訓練の研修を受けていた。
対象は、全マラウイ理数科教員。(家庭科含む)
Mulunguziはゾンバ県の教員が集まる場所なのだが、家庭科の教員は人数が少ないので、マラウイ南東部の全地域(マンゴチ・バラカ・マチンガ・ゾンバ)の教員がMulunguziに集まった。
ちなみに私の学校はマチンガ県にある。

移動の日、道を歩いていると、見知らぬ人が重い荷物を運んでくれた。
同じ部屋になったのは、頼れるお母さんみたいなマダム、ンブェンブェさんだった。
部屋も、保健室というか、病人用のきれいなところだった。
(他の人は普通の生徒の寮に泊まっていた)
「肉と米しか出ない」と聞いていた食事も、意外と野菜が出てきておいしかった。
研修中、隣の席になったギフトさんは、先輩体育隊員の教え子で、
逆隣りのマーサさんは、先輩家政隊員の親友だった。
色んな人が「マイコ、マイコ」と話しかけてきてくれて、
「今度うちに遊びにおいでよ」
「近くに来たら案内してあげるから、連絡ちょうだい」
と、電話番号をくれたりした。(まあこれは社交辞令も含まれているだろうけれど)

帰りのバスに乗り遅れないようにと、同僚がバスを引きとめてくれていた。
リウォンデで本当は乗り換えないといけないんだけれど、そこで別の同僚が拾ってくれたおかげで
ものすごく早く帰れた。(その車は、看護師である同僚の奥さんの病院の救急車だったのだが…)
同僚が帰り道、重い荷物を持ってくれたおかげで、私は行きも帰りもとても助かった。


木曜の朝、同じ会場で研修を受けていた同期K君が盗難に遭うという悲しい出来事があった。
木曜の夜、「今夜はうちが狙われるかもしれない」と、私がいるせいでンブェンブェさんに怖い思いをさせてしまったのに、彼女は私を気遣って色々な対策を取ってくれた。


私は本当に恵まれている。
ここまで恵まれていながら、それに報いるだけの仕事をしているのか?というと
イエスとは言えない自分…。
もっともっと、頑張らなきゃ!!と思った一週間だった。


お金は大事だよ

 同僚(男性)の婚約式に招かれました。
職場の先生方と共に、まず最初に彼の実家に挨拶に行き、お昼を御馳走になりました。
彼自身は、私と同じ教員住宅に住んでいるので、実家を訪れるのは初めて。
実家は旧都ゾンバ。任地からバスで2時間強かかります。

彼の家は、ものすごい豪邸でした。
正直、日本人の私よりもいい暮らしぶりかもしれない。
カルチャーショック。
お金は、あるところにはあるんだ。

まぁ、少し考えればわかることです。
マラウイで学校の先生になるような人は、大学まで行く経済的余裕がある人なのだから、
大概の人は結構裕福なわけです。

それで、お昼を食べてから、トラックの荷台に皆で乗り合わせて会場に移動しました。
彼の家にいる間から、音楽隊(と言っても楽器は太鼓と鍬だけ)が演奏していたのですが、
トラックの上でも引き続き演奏。そしてみんなが合唱。
会場に着く前から、みんなノリノリです。

予定では1時からだったのですが、彼の家を出発した時点ですでに1時すぎ。
そして到着した会場は、まだセッティングが終わっておらず…
結局始まったのは2時近く。さすがマラウイ。
準備が終わるまで、出席者の女性たちは会場の外で踊って待っていました。

着席すると、プログラムが配られましたが、チェワ語なのでちょっと分からん…
隣に座った教頭先生に内容を聞くと、どうやら先輩(?)から結婚生活のアドバイスが送られる
模様。
しかしバスの時間もあり、そのプログラムは結局見られず。

さて、マラウイの結婚式と言えば、お祝いとして参加者が主役たちにお金を撒く習慣があります。
今回の婚約式も同様。っていうかこれしか見れなかった。。。

新郎・新婦が代わりばんこにかごを持って、
司会者に呼ばれた参加者が前に出て、踊りながらお金をかごに投げ入れます。

参加者は富裕者層が多かったこともあり、
最高紙幣500クワチャが惜しげもなく撒かれるという太っ腹ぶり。
(ちなみに任地では100クワチャあれば1日暮らせます。)
司会者も「もっと撒け」とばかりに煽る煽る。

話に聞いてはいたけれど、すごい光景でした。
そしてやっぱりカルチャーショックを受けました。
「お金を投げる」という行為自体が、ちょっと信じられないというか。
しかも、かご目がけて投げているはずなのに、床に相当散らばっていて、
それを全然気にせず踏んだりしているのが、また信じられないというか。
お金に対して失礼なんじゃないかと思ってしまう。
何だか、日ごろお金がないないと言っている割には、
あまりお金を大切に扱っていないような気がする…。

いつまでたってもお金を撒き続けているので、
途中から会場を抜け出して、子供と遊ぶ不謹慎な私。
でも結構同僚も外に出ていました。
中にいたら、呼ばれたらすぐにお金を撒きに行かないといけないので、
自主規制(?)していたようです。

そんなこんなで、4時半には会場を後にしました。
おめでたいことなのに、素直にお祝いできなかった自分に自己嫌悪した1日でした。

 


 


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